脳梗塞で救急搬送されたあの日。何が起きて、何を感じたか。

1.発症の序章

2020年8月 その日もとても暑い夏の日でした。

 

妻と1人目の子どもは、

2人目の子ども里帰り出産・育児のため帰省中。

早朝5時頃、私は強烈な頭痛とともに目覚めました。

 

「昨日はちょっと飲みすぎたかな?

 今回はひどい二日酔いか?」

 

そう思いながら、頭痛薬を飲み、

リビングのソファーに再び倒れ込みました。

当時よくあるパターンでした。

頭痛薬を飲んで安静にしていれば、

30分ほどで治まってきていたので、

もはや慣れっこになっていました。

 

おはよう。頭痛くて起きた。

 

ソファーに倒れ込む直前に送った、

妻への何気ないメッセージ…

 

この一言が、私の命を繋ぎ止めることになりました。

 

2.錯乱状態

 

次に目を覚ましたとき、

(記憶は曖昧ですが)真っ暗な病室に寝ておりました。

たぶんICUにいたのだと思います。

そのとき私は自分に全く何が起こったのかわからなく、

なぜそこにいたのかもわからずパニックになりました。

そして、気がついたら再び眠りに落ちてました。

 

その時何が起きていたか 
(妻の後日談より)

 

発症当日の早朝に送信したメッセージ

その後、妻は午後一度メッセージをくれたそうですが、

当然返信はありませんでした。

妻も「頭痛いって言ってたから、また寝てるのかな?」

くらいに思っていたそうです。

 

ところが、夕方になっても私からの返信はなく、

送ったメッセージを閲覧すると

既読マークがつくアプリを使っていましたが、

既読マークがつくこともなく、

嫌な胸騒ぎがしたと話してました。

 

私自身、居眠りしてしまって返信しないことや

用事があって既読したまま返信しないことは

度々あったのですが、既読マークすらつかない

ということはほとんどありませんでした。

 

妻は両親や友人、私の両親にもそのことを伝えて、

私のスマホにはあらゆる人から着信がありました。

しかし、私は不通の状態。

妻は同じアパートに住むのママ友とも仲が良く、

自宅の様子を見てもらえないかお願いしたそうです。

 

部屋の電気は付いてるけど、
カーテンが全開になってるよ…

 

妻は、いよいよ「なにかあったのでは?」と

心配になり、私の自宅近くの交番に連絡し、

事情を説明し安否確認を依頼したそうです。

 

到着した警察官が何度インターホンを

鳴らしても応答はなく、

警察官が電話しても不通の状態でした。

 

(ピンポーン)
すいません。警察ですが、
お隣のご主人が部屋にはいるようなのですが、
音信不通で、奥様から安否確認を依頼されました。
お宅のベランダから通報のあったお宅に侵入したいのですが、
お部屋を通らせてもらってもよいですか?

 

そして、私と連絡が取れなくなって12時間後のこと、

私の部屋のベランダに到着した警察官が

ソファーで横たわる私を発見、

ガラスを割り部屋に侵入し、

12時間ぶりに救出されました。

 

そして、私から妻への最後のメッセージである

「頭痛くて起きた。」

ことを救急隊員に伝えました。

ところが、近くの脳神経外科病院を探したものの、

日曜日の深夜だったこともあり、

なかなか搬送先が見つからず、

救急車に収容されて1時間後、

ようやく市外の大学病院に救急搬送されました。

ママ友の話では救急搬送されるとき、

救急隊員の呼びかけに

なんとなくは反応していたようです。

 

搬送後、CT検査などしたそうなのですが、

意識混濁した私が暴れるせいで、

なかなかうまく撮影ができず

原因特定は難航したそうです。

結局、鎮静剤を打たれて大人しくなったそうです。

最終的には手術ではなく薬剤で、

脳血管に詰まった血栓を溶かす治療を

施していただきしました。

 

病名:アテローム血栓性脳梗塞

アテローム!?脳梗塞って何種類もあるの!?

率直な私の感想でした。

後に調べてわかったことですが、

脳梗塞は脳卒中の一部だったようで

下記のようにまとめました。 

脳梗塞も危険度順で言えば、

1.心原性 2.アテローム血栓性 3ラクナ

の順らしいのですが、

結局、血栓がどこにどのくらいの時間、

詰まった状態かによって、

障害の場所や重さなどが

十人十色で変化していきます。

私の場合は、右の後頭部の視床野という部分に

血栓が長時間詰まったことで、

次のような後遺症が残りました。

 

私の場合の後遺症
  • 左半身の片麻痺…左半身の頭の天辺から、足の指先までシビレが残ってます。
  • 左上1/4視野欠損…視界を時計に例えるなら、9〜12時の範囲がほとんど見えません。

 

ちなみに、ラクナ梗塞だからと油断することなかれ、

リハビリ病院で同部屋だったラクナ梗塞の患者さんは

右足が動かず、長い期間、車椅子や松葉杖生活でした。

詳しいリハビリの内容などは、次回にするとして、

ここまで読んでくださった方に

知ってもらいたいことがあります。

 

それは「ヘルプマーク」の存在です。

 

 

これは、東京都福祉保健局が発行した

ピクトグラムです。

外見からわかりにくい障害や病気を抱える方々が

身につけています。

最近では電車やバスの優先席付近にも

ステッカーが貼ってあることを

よく目にするようになりました。

ぜひ、このマークを身に着けている方が

いらっしゃいましたら、

援助が必要なこともありますので、

気にかけてください。

 

3.回復に向けた準備

急性期病院
  • 【ICU】1週間、昏睡状態でした。
  • 【SCU(脳卒中ケアユニット)】意識が戻り、1週間療養、24時間心電図という人生初の検査をしました。
  • 【一般病棟】1週間、病状も安定し、回復期病院へ転院の手続きもしつつリハビリなどこなしておりました。

ICUは意識ありませんでしたが、

意識も回復しSCUに移ったのですが、

スマホなど電子機器は使用禁止なので、

妻に雑誌を送ってもらい読んでました。

看護師さんからも『リハビリにも良いので』

とのことでした。

やはり脳の病気だからか、はじめは強い障害があり、

今さっきまで読んでいた場所がわからなくなったり、

少し読んだだけで、相当疲れが溜まったりしてました。

 

リハビリの理学療法士さん(PT)と、

病院の外に散歩にいくこともありました。

普段は何気なく歩いていたりしますが、

人間が視覚から得る情報がいかに多く、

それを私たちの脳が高速で処理しているのだと

はじめて実感しました。

短時間の散歩も相当疲れました。

 

その他にも、

作業療法士さん(OT)

言語聴覚士さん(ST)

と様々なリハビリを行いました。

脳梗塞をするまで、リハビリと一口といっても、

3種類の専門分野があることを知りませんでした。

 

詳しいリハビリの経過は次回以降書いていきます。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

次回の本格的に開始したリハビリ記事も

よろしくお願いします。

 


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